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会社概要

事務局 ハウスクリエイト有限会社 〒181-0013 東京都三鷹市下連雀9丁目5番1号 phone / 0422-70-5331 facsimile / 0422-70-5332

アパート・マンション経営は会社経営と一緒です。 大家業=社長業です。
では、社長業とは? 大家業で成功している人でアパート・マンション経営を管理会社に任せっきりにしている人はいません。管理会社を上手にコントロールしています。
しかし、プロである管理会社をコントロールするためには実務知識が必要です。
実務知識を体系的に習得できる機会があります。それが不動産実務検定です。
不動産実務検定を開催する『アパマン経営の寺子屋』は少人数制です。
管理会社を上手にコントロールするために必要な知識を体系的に学んでください。

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三鷹SG講師紹介

 

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■東京第6支部長    

一般財団法人日本不動産コミュニティー 三鷹SG
J-REC公認 不動産コンサルタント(不動産実務検定認定講師) 

大川克彦(おおかわかつひこ)

 


得意なことは

◆不動産有効活用の比較提案&アドバイス
◆分割を考えて争続にならず資産を3倍にする相続対策
◆自主管理サポート&賃貸管理運営とアドバイス
◆誰でも出来る空室対策
 (外国人入居サポート&滞納トラブル防止と不良入居者対策)
◆シェアハウス&マンスリーの企画運営とサポート
◆既存建物(築古アパート・マンション・一戸建て)の不動産再生


★趣味・特技:
ダイビング、ビーチバレーなどスポーツ、建物探訪、DIY、読書

★他の保有資格
公認 不動産コンサルティングマスター(相続対策専門士)、公認 ホームインスペクター(住宅診断士)、宅地建物取引士、J-REC公認 相続コンサルタント(三鷹相続センター)、家族信託コーデイネーター、賃貸不動産経営管理士、木造耐震診断士、古民家鑑定士

実績
税理士法人レガシィ、三井ホーム、満室経営新聞プレミアムDVD 、他大家塾など

★プロフィール:
1966年名古屋市生まれ。日立製作所半導体事業部に入社後、不動産業界に転身。資産(賃貸)管理会社、売買仲介会社、建売会社で経験を積みスタイルを確立する。フルコミッションで勤務していた会社の営業スタイルがきっかけになり、このままでは“お客様主体”で不動産を購入するのは難しいという不満を感じ、1997年にハウスクリエイト有限会社を設立。インターネットを利用して不動産流通・手数料offなどの仕組みを普及し、お客様が納得した不動産取引をするためのサポートに務める。2005年からアパート経営コンサルタントとして『アパマン経営の寺子屋』を開校し『アパマン経営の寺子屋実践塾』を定期的に開催。自らもアパート経営を行い、空室対策を中心にアパート・マンション経営の相談、不動産の有効活用など、依頼者に対して的を得たアドバイスを提案する。

受講生へのメッセージ
アパート・マンション経営は会社経営と一緒です。大家業=社長業です。では、社長業とは?大家業で成功している人でアパート・マンション経営を管理会社に任せっきりにしている人はいません。管理会社を上手にコントロールしています。しかし、プロである管理会社をコントロールするためには実務知識が必要です。実務知識を体系的に習得できる機会があります。それが大家検定です。不動産実務(大家)検定を開催する『アパマン経営の寺子屋』は少人数制です。管理会社を上手にコントロールするために必要な知識を体系的に学んでください。

2009年の大家検定時代から15年開催し続けています。
不動産実務検定も時代に合わせてテキストもリニュアルしています、再受講料が基本、無料ですので何度も何度も再受講して知識を会得してください。

 

不動産の専門家「大川克彦のblog」
 

 

八王子SG講師紹介

■東京第6支部   八王子SG

賃貸経営コンサルティングマスター
石坂 久(いしざかひさし)

 
プロフィール:
1967年  東京都千代田区麹町生まれ 父は病理の医者で医学博士。東邦大学医学部教授も勤めた。母は大家の一人娘。兄弟は医者になった妹が一人。

1980年頃 埼玉県志木市に転居。志木の中学時代、社会科の近藤弘先生の授業に感銘を受ける。社会の先生になりたいと思った。

1983年頃 私立聖学院高校に行く。帰宅部。学校長であり牧師でもあった林田秀彦先生の聖書のお話しが印象的だった。また、赤熊正之先生の プリントを使ったカッコ埋め式の世界史の授業に感銘を受けた。やはり社会の先生になりたいと思った。夏期講習会で受講した早稲田ゼミナール(当時)永田達三先生にも影響を受ける。 

1986年頃 独協大学経済学部経営学科に進学した。帰宅部。特に何もする気が起こらずに、そのうち学校にもいかなくなる。人生にやる気を失う。祖父母が相次いで他界したのもこの頃。都心に住んでいたので相続対策で多額の借金を背負う。相続を受けた母は誰に相談していいのかわからず暗くなっていた。このことが自分を相続と不動産とファイナンスの3件を結びつける原点になっている。

1989年頃 大学を中退。相続の申告をしてくれた渡辺定明税理士に経理学校という選択肢がある事を聞き、ちょうど中野に新校舎が出来たという広告を見て、大原簿記学校中野校へ行く。青島幸男元東京都知事が中野ブロードウエイに住んでいた頃で、何度もすれ違った記憶がある。

1990年頃 簿記2級までやって息切れする。何をやっても長続きしない。パチンコ・競馬・カラオケ・スキー・コインゲームにはまる。スキーに行くためにビクトリアでアルバイトをした。大原の担任だった田村勝先生はさぼりまくった私にも非常に懇意にしてくれたことが印象深い。この先生に存在価値をほめられなかったら、その後の人生で自分に自信を失った時に立ち直れなかった。

1991年頃  大原簿記中野校卒業。高田馬場にあるご夫婦で経営されている税理士事務所に勤務する。副所長先生(奥様)にはホチキスやハサミの使い方まで教えて戴いた。今、社会人として恥をかかないで済むのはこの時期に副所長先生に叱っていただけたからだと思ってます。所長先生はおおらかでさまざまな失敗を許してくれる懐の深い方だった。私は税務会計業務では超落ちこぼれる事を感じて、たいへんお世話になったお二人のもとを離れた。

1993年頃  バブルがはじけて実家の賃貸業がおかしくなり、物件の売却をした。色んな不動産屋が入り込み、めちゃくちゃになりそうなところに将来的に会社を一緒にやることになったオヤジが現れ、見事に交通整理をしてくれた。こういう不動産屋になりたいものだと思った。ちなみにこの時期に結婚し、最初の子供が生まれた。
実家の不動産が落ち着いた頃、マンション管理会社に就職した。当時はまだマン管法制定前で、不動産業免許を持たずに専業でマンション管理をやる会社は珍しかった。共用部分の清掃から組合様の決算まで多くの仕事をやらせてもらった。この時代に宅建の資格を取った。下の娘が生まれたので八王子に転居した。

1995年頃 実家が不動産賃貸業だけではなく、免許取って取引業も始めるというので何となく戻る。いきなり取締役に就任。オヤジも会社をやめて合流した。某上場不動産会社の下請け業務を行うほか、競売不動産調査など多くの業務をやらせてもらった。

1999年頃 全国経理学校協会の簿記能力検定上級に合格し、税理士試験への受験資格を得たが、もうそんな体力も気力もなかった(笑)この頃はプロレスおたくになっており、観戦しては維新力さんの店に入り浸って、毎日プロレスの話しばかりしていた。頭の中にはプロレスしかなかったかもしれない。

2000年頃  仲介手数料を稼ぐとか、賃貸管理手数料を稼ぐだけの毎日に辟易としてしまい、ファイナンシャルプランナーの勉強をした。人生何か変わるかなと思ったけれど、やはり何も変わらなかった。たばこをやめたのを機会に、夜遊びやプロレス観戦を以前ほどしなくなった。

2003年頃 受験予備校主催のFP実務講座に1年間行く。皆さんいい方ばかりで毎回、講義が終わった後に一杯飲んでいた。甲斐洋子さんの講義実務で模擬講義をしたときに誉められて、自分は講師に向いていると思い込み、いい気になる。この実務講座時代の知人・式町みどりさんのお誘いでFP協会フォーラムに参加させて戴き、2回もミニセミナーの講師をさせてもらった。

2005年頃 オヤジが糖尿病を悪化させて倒れた。このままオヤジが戻ってこなかったら会社を閉じてどこかに勤めに行こうと思っていたとこ ろ、奇跡的に生還した。相続したビルを売却し、1980年代後半から続いていた不動産がらみの借金を整理した。私は自分の不動産屋人生といったん終わらせることを決めた。この年末にビッグサイトで開催された賃貸住宅フェアでセミナー会場を満員にした浦田健氏を遠くから眺める。

2006年頃 セミナー講師を目指してプロFPジャパンに加入した。5月中旬に代打で「相続対策に強くなる!実践・不動産と保険の有効活 用」で講師デビュー。(ビジネス教育出版社様)プロFPジャパンを主宰する千葉史郎先生にはセミナー講師としての心構えから、あらゆることを教えて戴く。
この時期、12年前に所属していたマンション管理会社の社長から事務方としてこないかという話しをもらい、オヤジと相談し、仲介や賃貸管理には辟易としていたことから、2年間という期間を決めて移籍することにした。社長にはプロFPジャパンと契約している旨を伝え、この契約期間は就業規則に違反しているが承諾をもらって 講師をやらせてもらうことになった。

2008年頃 会社はやめず、プロFPジャパンをやめてしまった。久しぶりに子供が生まれたので生活費がかかるかなと思ったことと、 セミナーのコンテンツが思い浮かばなくなってしまったことの二つの理由から。プロ講師になるには一度枯渇を経験し、そこから次に行くものらしい・・・が、会社で出世もしてしまったこともあり、独立した講師になるよりも、事務方サラリーマン(中間管理職)を選んだ。とはいえ、単独サラリーマンである自分に非常に違和感を感じ、悶々とした気持ちと連日戦った結果、浦田健氏の主催する賃貸経営実務インストラクター講座(現・賃貸経営コンサルティングマスター)に通った。
 
2009年 浦田健氏の一般財団法人日本不動産コミュニティに参加。東京第4支部(大川支部長)へ所属する。春には本部主催の認定講座で講師を務める。8月の大川支部長の認定講座で2コマを受け持たせてもらい、9月・11月・12月には自分の認定講座を開催。

2010年 大家検定を通して、大家さんの啓蒙と零細不動産業者の社会的地位向上を自分の使命であると思い込み、活動を始める。